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fallingdowndowndown

うつ気味アラサー♀の人生墜落ブログ

死ぬこと

最近、なんとなくだけど、自分の将来についてふと考える時が多くなったように思う。

 

あ、完全にうつな内容ですよ。

閲覧注意。

 

たぶんそれは伯母さんと呼べばいいのか、親の兄弟の奥さんが、卵巣がんだったかな?

もう摘出しようがないんだそうだ。

 

あとは森光子さんの訃報。

まとめサイトで見た「どんどん自分のよく知っている人たちが死んでいく」「生きる(死ぬ、だったかな。忘れたw)ってそういうことだよ」というコメント。

どんどん自分の知り合いや身近な人が死んでいく。

自分を残して。

何を思うんだろう。と、親の立場になって考えてしまった。

 

子宮筋腫を持っている母親。一応閉経後だったからか検査しても特に心配する必要はないらしい。要は良性腫瘍ということか。

一歩間違えばもういないかも知れないわけで。

 

親父がまた仕事を首になった。

もう救いようがないアル中だ。前の仕事と同じ理由。

ずっと死ねばいいと思っていた。さっさと逝け、と。それは今も変わらない。

これと祖父さえいなくなれば負担はずっと減るんだと信じているから。

 

そういえば最近言葉を発していない。

授業中は発言する必要はないし、クラスメイトの会話も一言二言のみ。声帯を動かさないような発音しかしていない。

だから、たまに発言が必要になったときに全然声が出てこない。

かすれた声。咳をしないと音が出ない。それでも咳をすれば出るようにはなるんだけど。

 

祖父は違う。

昔は祖父の話を聞いてあげてた母親ももう無視するようになって何年経ったろうか。

祖父にも原因はある。

親父とけんかも殴りあいもしてたし。

でもあの頃はまだしゃべっていた。声を出していた。

 

最近は、最近といっても数年は経過していると思うけど。

叫ばないと聞こえない。何度も言わないと理解できない。ゆっくり説明しないと。

同じことも繰り返すようになったし、文章ですらなくなった。

向こうも理解できてないかもしれないけど、こっちも理解できなくなった。話さない。

聞いてもらえないのを理解したのか、聞こえないから発言しないだけなのか。

叔父さんが来た時はちょっとテンションがあがるらしい。来たのか、くらいは言うけどそこから会話になることはあまりない。

これも叔父さんが聞く気がないからだろうか。

 

いったいどんな気分なんだろう。何を思っているんだろう。

娘が、一緒の家に住んでいるのに、話を聞いてくれない気持ちは。息子もたまに来るのに適当にあしらわれて

黙って、(聞こえてないかもしれないけど)自分の子供たちが酒を飲んで楽しそうに話しているのを見るのは。

でも自分は混ざらない。混ざれない。入れない。

 

自分のことだってそうだ。何も言わずにイギリスに来ている。

親父はまだボケてはいないから一度言えば理解できる。覚えていられる。

確かに出発前に荷造りしてるのは隠すつもりもないし隠せるものでもないから気付いた。聞かれた。またイギリスに行くのかと。

イギリスがどこかわかっているのだろうか。

でも、そうだと答えたら、気をつけてなって、お小遣いをくれた。

いつまで行くんだって。寂しくなるなって。

 

本当に日常の会話が聞こえていないんだろうか。目の前で悪口を言っていたり、話を聞いてくれないのを理解していなんだろうか。

本当は、本当は全部聞こえていて、邪魔者にされているのを理解して、だから何も言わなくなったんじゃないのか。

言えなくなったんじゃないのか。

 

祖母は、ボケてはいなかった。

でも、世話焼きな部分がうっとおしく感じることもあった。

自分じゃない、あれは。兄がぶつかった時だ。謝らなかった。イラついたようだった。

祖母は、もう邪魔か。年よりは死んだほうがいいか、と言った。

何も言わなかった。自分も。言えなかった。

そんなはずないじゃないかと。

本当は少し邪魔だった。

でも、今なら言える。そんなわけがないと。

もう遅い。

それが直接の原因ではないけれど。

 

でも一緒だ。入院して手術して退院した。

直腸がんだった。発見が遅かったため人工肛門になるしかなかった。本人には言わなかった。

手術後にこんなになるなら死んだほうがよかったと言われた。

でも転移が見つかった。もう一度入院する時はもう退院することはないと医者に言われた。

実感はなかった。

死んでもいいと思っていたのだろうか。わからない。でも、そんな簡単に死ぬはずないとも思っていたのかもしれない。今までに死んだ親戚はいなかったから。

 

すぐに二度目の入院はやってきた。

「ばあちゃんまた入院することになっちゃったよ」と言ったのを今でもはっきりと覚えている。何も言えなかったのも。

知っていた。もう退院することはないと。

母親に後から言われた。黙ってたらまずいだろうと。実際自分がどんな反応したかは覚えていない。ふっと笑ったかもしれない。

意外と元気だった。

まあ当たり前だ。入院する前もそんなに酷いわけではなかったのだから。

ただ人工肛門だった。夏だった。祖母とは一緒の部屋で寝ていた。

最初は、問題なかった。

換えもお風呂も自力でやっていた。もともと一緒に住むようになってからは家事とかを主体でやっていたせいもあるだろう。

徐々に母親を頼るようになった。まあ自分の娘だ。当然のことだろう。

たぶん便を受け止める袋を人工肛門に固定するための金具のようなものが自力では取り外しできなくなってきたんだと思う。

 

年のせいか、自分本位になってきた。

母親が仕事している時でもかまわず呼ぶようになった。それはわずらわしかっただろうと思う。

夏はにおった。

まだ高校生だったせいもあるが、同じ部屋で寝るには耐えられなかった。

幸い予備の部屋があったのでそちらで寝た。

次の晩、祖母は布団を持って部屋の外で寝るようになった。ショックだった。

自分が彼女を傷つけてしまった。

でもにおいのせいで二度と一緒に寝ることはなかったと思う。その後の再入院の具体的な日付も覚えていない。

 

入院してからは看護師さんによると一人でトイレも行けてるし何も問題はなかった。

ただやはり寂しかったらしい。

お見舞いにはほぼ毎日行った。母親と二人で。学校帰りに制服のまま行った。

当然仕事が忙しくて行けない日もあった。

最初はそんな毎日来なくていいと言っていたが、やはり嬉しかったのだろう。行けなかった日に泣いたとこもあると看護師さんに言われた。

 

寝たきりになったのは急だった。

ある日突然お見舞いに行ったらモルヒネを点滴されて寝ていたと思う。昨晩暴れたとかなんとか。

それから目を覚ましたことは数回あっただろうか、なかったかもしれない。

ただたまに意識はないながらもトイレに行きたいと喚くことはあった。トイレに行かなければもれてしまう、と。

なんと皮肉なことだろうか。もうトイレに行く必要はないのに。

こんなことになるなら死んだほうがよかった。本当に本心だったのだろう。意識がなくなっても夢に見るとは。

手術前に言う選択肢もあったと思う。当然拒否しただろう。それならば死にたい、と。

でも無理だった。どうやら人は直腸がんでは死ねないらしい。手術しか道は残されていなかった。

詳しい経緯は聞いていない。すべて母親と医者が決めた。

自分も混ざれないほど子供ではなかったろうに。

 

今でも悲痛な叫びは覚えている。トイレに行きたい、と。

知らない人から見れば滑稽な台詞に思えるかもしれないが。

一度、このままトイレにおぶっていってほしいとしがみつかれたことがある。

医者はモルヒネの影響で幻覚を見ることはないからおそらくがん細胞が頭の方にまで回ってきたのだろうと教えてくれた。

検査をしてみるか、とも聞かれた。

母親の答えはNoだった。今更検査しても治るものでもないから、と。

背中か臀部の方にもまわったのか、動かすと痛いらしかった。

だからおぶっていってほしいと言われたときにおぶってあげようとした。看護師も止めなかった。

でも起きようと上体を起こしたところで痛い、ダメだ、と自分からまた横になった。

母親は痛がる姿を見ていられなくて、痛いなら痛くなくなるまでモルヒネを増やすよう病院に伝えた。

 

それからはもうモルヒネの名前が堂々と点滴に表示されるようになった。

暗にもう二度と目を覚ますことはないと言われているようだった。実際そうだったのだけれど。

そういえば一番進行していたのはやはり手術で摘出した痕だったのか、おむつをするようになっていた。

お見舞いの最中に交換の時間が重なることもあった。

見せるものではないのか見られたくなかったのかその両方か、意識があるときもないときも交換中は部屋から追い出されていた。

終わった後に部屋に戻るとなんともいえないにおいがした。

 

逝ったのは明け方だった。

前日からもう危ないかもしれないと言われて叔父さんも呼び寄せてお見舞いに行っていた。

叔父さんの奥さんも来た。

結局その日は何もなかった。

 

でも翌朝の4時ごろに病院から再度電話が来た。

電話が鳴ったこと、母親が出たこと、なんとなく覚えている。聞こえていた。それが病院からだということも悟っていた気がする。

直後に親が起こしにきた。普段の寝起きからは考えられないくらいにすんなり起きたたと思う。

そのまま着替えて病院に向かった。

車の中で叔父さんに電話もした。病院から電話があったと。すぐに行くと言って切った。

病院について急いで階段を登った。

病室に入った時には心拍数を示す機械が止まっていた。

 

あっけなかった。

高2の春休みのことだった。桜がきれいに咲いていた。

 

涙は出なかった。

母親と後から来た叔父さんが目に涙を溜めて顔をなでているのを遠巻きに見ていた。

自分がしゃしゃり出ていい場面とは思えなかった。

 

6:56。それが死亡宣告をされた時の時間だ。

 

それからはあっという間だった。

叔父さんの奥さんが葬式の手配をすべて済ませた。家族葬だった。

そのまま善光寺の小さい仏壇に入った。実家には立派な墓もあるのに。うちには仏壇もあるのに。

位牌は当然持ち帰れなかった。

兄が一眼レフを持っていたので式場で位牌を写真に収めた。仏壇には今も額に入れて飾ってある。たぶんうちに戻ってきているだろう。

 

二度目の入院前、祖父と祖母はけんかをした。台所だったのでよく見ていなかったが祖父が手術したあたりを蹴ったらしい。

昔から仲は悪かった。なぜ結婚したのかというくらいに。

当然母は怒った。たとえ夫婦でも女に手を上げるとは、と言っていたような気がする。まあ上げたのは足だが。

祖母は、意識がなくなるまで蹴られたせいで悪化したと信じ込んでいた。

何も言えなかった。かける言葉も言うつもりもなかった。

 

それからだったろうか、祖父への風当たりがいっそう強くなったのは。

でも最初は母親は話を聞いてあげていたかもしれない。

 

いつの間に、こんなにぎくしゃくしてしまったのだろう。

 

だからって自分が祖父の話を聞いてあげたりしたこともないのだけれど。なんとなく気恥ずかしかった。理由はわからない。

親が無視してるのに目の前で話を聞いてあげることができなかった。

 

祖父は今、何を思って生きているのだろう。

当然パソコンは使わない。

昔は誰もいない昼間とかに自分でテレビをつけて相撲や甲子園を見たりしていた。

でも最近はそれもない。

親父が祖父が大嫌いだから祖父がいるにもかかわらず自分が席を立つときにテレビを消すようになった。

つけない。

ただただぼーっとしている。新聞を広げている時もある。

昔は新聞を読むときは虫眼鏡を持っていた。今は持っていない。ということはおそらく読めていないのだろう。

テレビもあの音量では聞こえてないのだろう。

 

一応自分の部屋がある。だいたいはこもるようになってしまった。

放っておくと昼過ぎまで部屋から出てこない。寝ているらしい。夜は20時には部屋にひっこむのに。

何をしているのだろうか。

たまに新聞を部屋に置きっぱなしにして親父がぶちぎれている。家においてある文庫本も拾ってきては読んでいるようだ。

内容を理解しているのかは定かではないが。

 

親父が死ぬのが一番嬉しいと思う。

もうだいぶ口を聞いていない。送り迎えは車の運転が好きだからか母親が忙しいからか親父がする。嬉しくない。

当然車内での会話もない。座席も後ろにしか座らない。

必要最低限の会話はする。まだ話は通じるようだ。イギリスに行くのも快く思っていないらしい。

どうせまたすぐ帰ってくるんだと愚痴っているのを聞いたことがある。

何とも思わない。

祖父と同じような立場になったとしても何も思わないだろう。母親もそうなのかもしれない。

 

まだ祖父が元気な頃は、と言っても今も健康体ではあるが、まだ話が通じる頃は親父としょっちゅう言い合いをしていた。

その頃にはもう兄は家を出ていたか。なんともうらやましい限りである。

自分は離れに逃げ込んだがそれでも言い争う声は聞こえていた。泣きたかった。何もできなかった。

トイレで母親が泣いているのを目撃したこともある。すすり泣く音が聞こえただけだが。

ショックだった。

その頃から祖父に面と向かって「ばあさんじゃなくあんたが死ねばよかった」と言うようになっていったかもしれない。

祖父はへらへら笑うだけだった。

 

こうして見るとぼけたのは自己防衛なのかもしれない。

今は何を言われてもへらへらしているだけだ。何を思っているんだろう、何を考えているんだろう。

 

個人的には親父に先に死んでほしい。

母親は祖父を預かってもらっている立場のため親父に何も言えない日々を送っているので祖父が死んだら形勢逆転と息巻いているが。

確かに、祖父さえいなくなれば親父にも言いたい放題だろう。ストレスも発散できるかもしれない。

 

なんとなく、漠然とだが、親父が死ねばまた母親は祖父の話を聞くようになるかもしれない、と。

淡い期待というか希望というか。ありえない話なのかもしれないが。

まだ一緒に暮らすようになった頃のように戻ったりはできないのかと。ほぼ無理なのだろう。

 

それに、正直祖父にいなくなってほしいとも思う。なんとも身勝手だ。

でも今の状態を見ているのがつらい。自分がつらいから消えてほしいだなんてなんて身勝手すぎる。

 

今何を考えているのか、家中から無視されて何を思うのか。

今はもう近所付き合いもない。自転車ででかけてる時に車と接触して足を痛めてからは外に出なくなった。

そういえばその頃からか、ぼけていると見れるような行動を取るようになったのは。

親父も一日中家にいる祖父がうっとおしくなったのだろう。そういえばすべてがその頃から変化したような気がする。

 

事故さえなければ今も平和だったのか。

でも結局はぼけるのだからどの道変わらないか。

ありえない未来を語っても意味がない。

 

22:40に書き始めてもう0時。1時間以上も書いている。5900文字。この分だと6000を超えるだろう。

普段あれほど記述が苦手なのに何とも皮肉な話だ。

 

祖母は、ちゃんと家に居ついているような気がする。

霊感もないし姿を見たことも、夢にすら出てきたこともないのだが。におうんだ。あの夏に耐え切れなかったにおいが。

もう笑うしかないが。今は耐えられないとは思わない。ずっとにおってるわけじゃないせいかもしれないが。

本当に祖母のものなのかも怪しい。老犬が2匹家中に粗相をしてくれるのだから。

でも、なんとなく祖母のような気がする。気配も何も感じるわけじゃないけれども。ただ、なんとなく。恐怖もない。

 

昔祖母と一緒に寝ていた部屋はもうただの物置だ。

兄の溜め込んでいる漫画が山のように積まれてある。

 

そういえば祖母は日めくりカレンダーが好きだった。好きだったと言うか、毎年どこかからもらってきては使っていた。

小さい頃はよくむいたものだ。きれいに千切れなくてぐしゃぐしゃになった。

仏壇の真横にひとつ、大きいのがかけてある。もう何年もめくっていない。具体的な日付は忘れた。おそらく二度目の入院前までのものだろう。

 

よく、わからない。

何を思って入院し、何を思って死んでいったのか。

死ぬと言うことは何なのか。

 

しばらくは泣かなかった。母親が泣いているから、という妙な責任感もあったのかもしれない。

春休みがあけて高3の春。大嫌いな先生が担任になった。

あまり課題を終えていなかった。忙しかったのもあるが、割といろんなことがどうでもよくなっていたのもあった。

当然怒られた。そういうことでいちいち切れる先生だったから。

泣いた。ずっと大変だったのに何も知らないくせに、と思ったような気がする。退学するとも言い張った。笑うしかない。

でも久々に泣いた気もする。

今はほぼ毎日泣いているのに。

今も書きながら泣いている。これも久々だ。結局泣く時は自分のためしかない。悔しくて泣くか、自分がかわいそうで泣くか。

昔何かで見た記憶がある。なんにせよ自分のためだ。悔しかったとしても何もできない自分がかわいそうだからだ。

 

そうだ。祖父にお土産を買っていこう。

何がいいだろうか。置物か、食べ物か。

置物、と考えた瞬間、どうせ死んだら部屋にぽつんと残されるだけになってしまうんだろう、と考えてしまった。

でも棺おけにいれてやればいいじゃないか。

 

前のバイト先の人が言うには、棺に入れてもらったものはあの世で無限に増えるらしい。だから1個でいいから入れて、と。

置物は何がいいだろうか。やはりイギリスらしいものを。

イギリス、と言ってどこにあるのか、何の名前なのかわかっているのだろうか。

そういえばブライトンを含め一度も何も買っていったことがなかったように思う。出発前には常にお小遣いをくれたのに。

なんてことだろう。

これからは帰るたびに買って行こう。もう長くはないかもしれないけど。

パリにも行ったのに何もあげなかった。最悪だ。もう一度行くことがあればお土産を買おう。

 

本当は写真が一番いいのかもしれない。

写真ならたくさん残ってる。パソコンの中にだが。

ああ、今ふと、だからデジタルフォトフレームがはやるのかと思ってしまった。帰ったら見てみよう。各キャリアが色々出してたはずだ。

使い方は簡単だろうか。

ランダムに表示されるだけではなくて、自分の手で一枚一枚めくって見れたらいいのに。

たとえ親の目の前で会話はできなくても多少は変わってくるはずだ。

今まで撮った写真は決してきれいとは呼べないものばかりだけれど。これを気にカメラにこだわるのもいいかもしれない。

 

母親はあまりいい顔しないかもしれない。

自分で溜めたお金でこっそり買おう。それでも今までもらった総額にはまだまだ足らないだろう。それなら安いものだ。

 

そうだ、夏にはフィジーに行く。そこでもいっぱい写真を撮ろう。きっといい土産になるはずだ。

日本に帰るのが待ちきれなくなってきた。ただでさえ早く帰りたいと言うのに。

 

もう0時40分を回る。かれこれ2時間も書き連ねてしまった。

久々に泣けたし、最後には前向きになることもできた。これからは感謝の気持ちも忘れないでいたいと思う。